【16】マーケティング・マイオピア

 有名なダーウィンの『進化論』は、科学や宗教の分野では批判的な論調も多いが、われわれ一般人からすると、なかなか有益な示唆を与えてくれるものである。
 進化論とは生物に関する科学的な法則ともいうべきものであり、ダーウィンによれば、生物とは時間とともに変化していく。すなわち、「進化」とは、「変異」、「生存競争」、「自然淘汰」のプロセスそのものであり、あらゆる生物はそのようなプロセスの中で生まれ、滅びていく。
 現存する生物は、現在の環境に適応しているからこそ、その存在が許されている。地球上の生物も恐竜やマンモスの時代を経て、われわれ人類を中心とする生物が現在に生きているわけである。

 このことは世界の国々や政府、企業・学校などの組織においても同様で、「現在の環境に適応しているからこそ、その存在が許されている」とみることができる。
 企業を例にとると、明治維新以降に限っても、無数といってよい企業が次々と生まれ、次々と消滅していることは歴史上の事実である。業種の違いや規模の大小はあっても、現存する企業はすべて環境に適応しているといえる。「環境に適応できない企業はこの世から消えていく」。この厳然たる事実をわれわれは肝に銘じておく必要がある。

 では、組織が「環境に適応する」とはいったいどういうことであろうか?

 1960年にハーバード大学のセオドア・レビット教授(以下、「レビット」と略す)は「マーケティング・マイオピア」論を発表した。簡単に説明すると以下のとおりである。
 レビットは1960年当時の鉄道産業の衰退について論じている。20世紀初頭にT型フォードの量産化が実現し、いわゆるモータリゼーション(自動車化)の時代が到来した。自家用自動車の普及により、それまでの移動手段であった鉄道輸送需要が激減し、鉄道は斜陽産業となってしまった。

 では、なぜ、鉄道産業が衰退の一途をたどったのであろうか。モータリゼーションだけの影響であろうか。
 理由のひとつは、鉄道事業者の意識はあくまで「鉄道」運営が自らの使命であり、鉄道こそがすべてであると思い込んでいたことである。
 他方、旅客や貨物の輸送需要はむしろ増加しており、実は、その需要は航空機や自動車・トラックなどに吸収されていたのである。つまり、鉄道事業者は自らの事業を「鉄道事業」であると拘泥していたため、「輸送事業」という新たな需要に対応できなかったということである。もっといえば、鉄道事業者には「顧客ニーズ」の変化という「環境の変化」に適応できなかったということなのである。

 レ ビットが同様に環境の変化に適応できなかった同時代の例として、映画産業の衰退をあげている。映画産業も鉄道産業と同様に、テレビ業界の繁栄を前に自らの事業を「娯楽産業」に位置付けることができなかったために、斜陽化の道を歩むことになった。刻々と変化する環境のなかで、しばらくその変化に適応できなかった、この2つの現象を捉えて、レビットは「マーケティングのマイオピア(近視眼)」として警鐘を鳴らしたのである。

 「企業とは『環境適応業』である」との定義は、古くて新しい。企業が適応しなければならない環境の変化には、当然のことだが、そこで働くわれわれ自身が適応していかなければならない。環境の変化は常に不可逆的であり、連続的である。すると、今われわれが考えなければならないこと、行動しなければならないことは何か、これを常に考え、行動している人が最終的に環境に適応し、結果、「生き残る」ということになる。

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