知恵の創造
知識の蓄積 から 知恵の創造 へ
手許の辞書(学研 現代新国語辞典)によれば、「知恵」とは、「道理・善悪などをよく判断し、物事を上手に処理する頭の働き」とされています。用例としては「知恵が回る」「知恵を貸す」「知恵を絞る」などがあげられています。
一方、「知識」とは、「ある物事についてはっきりと知り、理解した事柄」「知っている内容」とされ、用例として「予備知識」「知識をひけらかす」「知識を詰め込む」があげられています。いわゆる「偏差値」は、「知識」の蓄積が多い人ほど高くなりがちな指標だと思います(例外があることは否定しませんが)。しかし、社会は偏差値の高さだけで勝負できるほど生易しいものではありません。
「知識だけではだめだ。もっと知恵を使え」などと言われることがあります。私自身、サラリーマン時代に上司から何度も言われた言葉でもあります。時間が経つにつれ、両者の違いを何となくわかってつもりでいたのですが、何度も仕事で失敗するたびに、くどいほど「もっと知恵を使え」と言わる始末で、「知恵」を使うということは私にとって難しいことでした。ただ、「知恵」の重要性は身に見てわかるようになりました。
それでは、「知恵」と「知識」の違いは何でしょうか?
辞書的な意味の違いは上述のとおりですが、違いというよりも「関係」について定義してみると、先賢が残してくれたさまざまな「知識」を利用して、目前にある問題を解決していく能力のことを「知恵」ということが言えるのではないかと思います。いいかえれば、蓄えた「知識」を上手に活用して問題を解決するという人の営みのことを「知恵」というのだと思います。
つまり、「知識」のないところに「知恵」は生まれないのであり、「知恵」を生むには「知識」が不可欠であるということもできます。
インターネット社会にいるわれわれは、昔に比べ、あらゆる分野の知識を簡単かつ安価に手に入れることができます。これは疑いのない事実です。いままだ「知識」が不足している人も現在を生きる人であれば、その気になれば、すぐに「知識」を身につけることができます。
しかし、「知恵」についてはそうはいきません。たとえば、「生活の知恵」などといって、タンスのカビを予防するのに新聞紙を使うとか、生ごみのニオイ対策として酢を使うといったことを昔の人は知っていて、それを伝えていますが、それはすでに「知恵」ではなくて「知識」になっているということに注意する必要があります。
私が考える「知恵」とは、このような「生活の知恵」に代表されるような過去からすでにあるものだけでは不十分であり、新たな問題解決のために「創造」されるべきものです。しかし、そうは言いつつも、「知恵」を「創造」するためには、やはり、過去に先賢が生み出した「知恵」を知り、それを土台にする必要があります。
社会から必要とされる人間になるにはいったいどうすればよいのか、残念ながら大学では教えてもらえません。それは就職の際ににわかに面接テクニックを身につけることとも違います。そんなにわか仕立てのテクニックではだめで、そんなものは、入社後すぐに見破られてしまいます。 大学では多くの「知識」を身につけることはできますが、「知恵」となると話は別です。社会人として成功するためにはさまざまな「知恵」が必要になります。いますでにある「知恵」は厳密にはもう「知恵」ではなく「知識」となって、優秀な人なら誰もが知るところとなっています。 要するに、本当の「知恵」とは、この先さまざまなシチュエーションのなかで、自らが考えて絞り出すものなのです。もっといえば、「知恵の創造」ができる人がこれからの時代に本当に必要とされる人間なのです。
「知恵の創造」というコンセプトを掲げつつ、ひとりでも多くの若い方々が成長し、「社会から必要とされる人間」になっていただきたいと心から願う次第です。
このサイトは、新社会人や学生のみなさんに向けて、現在も生き続けている先賢の「知恵」をご紹介するとともに、みなさんが新たな「知恵の創造」によって、「できる社会人」へ変貌できれば、という思いから立ち上げたものです。ひとりでも多くの方が、このサイトで学習いただき、どんな場面においても「知恵の創造」ができる人へと変貌されることを心より祈念いたしております。
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