【18】3人の石切職人の話
こんなたとえ話がある。
昔、3人の石切職人がいた。3人とも汗をかきながら、せっせと石を切り、切った石を運び、積み上げている。
ある日、通りがかった人から「何をしているのか」と聞かれ、
1人目は「見てのとおり、石を切っているのだ」
2人目は「石で建物を建てている。おれの技能は一流だ」、
そして3人目は「大聖堂(教会)を作っているんだ」と答えた。
さて、この短い話から何を学ぶべきであろうか?
3人3様の仕事に対する意味づけの違いである。仮に3人の仕事量も給料が同じだとすると、給料を最優先する人にとっては、意味づけの違いなど大した違いではないかもしれない。
しかし、もしあなたがこの3人の雇い主だとしたら、誰を評価するだろうか?
言うまでもなく、3人目の職人が最も評価されることになる。以下にその理由を考えていこう。
有名な経営学者のピーター・ドラッカーはその著書『マネジメント』(ダイヤモンド社)の中で、類似の事例を用いて、3人目の職人こそがあるべき姿であるという。
ドラッカーは、3人目の職人が「大聖堂」建築という最終「成果」を認識していることに着目している。つまり、その職人は事業全体を見通せており、「成果」を出すために、自分はどのような役割や責任を負えばよいのか、どのような「貢献」ができるのかを認識している。それゆえ彼は事業全体の「成果」に直接責任を持つ「経営管理者(マネージャー)になりうる」という。ちなみに、ドラッカーは「組織の成果に責任を持つ者」がマネージャーであるとしている。マネージャーは「全体の成果を見なければならない」とも言っている。
当然の帰結だが、1人目の職人は日雇いの仕事をしているにすぎず、事業全体への責任や役割、貢献について全く認識できていなことから、絶対にマネージャーにはなれないという。
では、2人目の職人はどうだろうか?
2人目の職人には「一流の技能」がある。組織の中に一流の技能や専門知識を持つ人間が存在することは決して悪いことではない。むしろ、最高レベルの技能や専門知識は大きな差別化ポイントである。
「しかし」とドラッカーは言う。そうしたスペシャリストは、限定された分野(石切り作業のみ)で貢献しているにすぎないにもかかわらず、何か「大きなことをしていると錯覚することがある」と断じるのである。
つまり、技能や専門知識の重要性は強調すべきではあるが、それは組織全体のニーズ(大聖堂をつくること)と合致していなければならないのだという。組織全体のニーズに合致していない場合は、スペシャリストは自らの技能や専門知識の習得にのみ血道をあげることになってしまう。それでは組織への貢献にはならない、ということである。
もし、2人目の職人が「いまみんなで力を合わせて大聖堂を建築中なのだが、どうしてもおれの技能がないと建築がすすまない箇所があるので、そこでおれは、ほかのみんなにおれの技能を伝授することで、この仕事に貢献できるのだ」とでも答えていたなら、ドラッカー的には間違いなく合格であろう。
新人時代には、自分で仕事を選べないため、つまらない仕事、面白くない仕事もたくさんある。日々、繰り返す単純作業に対してどのような意味づけができるかは、その人が成長できるかどうかと大いに関係するのである。