【20】通勤時間と4,000坪の土地
公共交通機関、マイカー、バイク、自転車など、手段はさまざまだが、多くの社会人や学生には「通勤時間・通学時間」がある。時間の長さはそれぞれ違うが、首都圏では通勤時間が2時間以上という人も珍しくない。往復で4時間だとすると、通勤・通学時間だけで、なんと1日の6分の1を「消費」してしまう。
そもそもわれわれは「通勤(通学)時間」をどのように過ごしているだろうか?
最も「できない人」に分類される私自身は、当時は携帯電話すらない時代であるから、電車の中で、たまに本や新聞を読む程度であった。それも運よく、着席できた場合の話であり、ほとんど30~40分満員電車で立ちっぱなしであったことから、無駄に通勤時間を「消費」していたのである。立っていては、右手はつり革、左手はカバンにあるので、もちろん、本や新聞はろくに読めなかった。なかには、当時流行ったソニーのウォークマン(カセットテープ式)で英会話を勉強している人もいたが、満員電車のなかで私にはそんな余裕もなかった。
最近は、誰もがスマホを持っているので、ゲーム、音楽、読書、ニュース、語学など、各自が趣味や実益のために通勤時間を過ごしているようだ。昔より、ずいぶんと通勤時間の使い方は選択肢が増えている。もちろん、有効な時間の使い方をしている人は多くなっているだろう。しかし、通勤時間が長くなればなるほど、時間を有効に使っているかどうか、この差は必然的に大きくなる。
日本の場合、通勤手段の多くは満員電車である。座ることができれば、スマホを見ることはできるが、立ってスマホを見るのはつらいし、つり革を持たずにバランスを崩したりすると他人の迷惑にもなる。「通勤時間を有効に使えというが、山手線のような満員電車でいったい何ができるのか」という声が聞こえてきそうである。
これについては、かの渡部昇一氏がその著書『知的生活の方法』のなかで、知人のS氏を引き合いに出し、こんなことを言っている。
S氏の通勤時間は中央線で1時間半らしいが、毎日必ず始発に乗って都心の勤務先に通う。始発なので、もちろん電車はガラガラで、S氏は必ず着席できる。ふつう始発のなかでは寝ている人も多いが、S氏はおもむろに何かの専門書を読み始めるという。
始発に乗ると、会社到着は6時前になるそうで、当然会社の門も開いていない。ただ、守衛に根回しができているので、特別に通してくれるという。S氏はオフィスに入ると、簡単な朝食をとり、食べ終わると6時過ぎになる。会社の始業時間は9時からなので、約3時間、S氏には時間が生まれる。
問題はその約3時間をS氏はどう過ごすかだ。
何とS氏は「翻訳」をするのだという。S氏の勤務先は研究所的な色彩があるらしいので、勤務時間内でも多少は勉強らしきこともできるらしいが、S氏の場合は、完全に業務とは関係のない「翻訳」を長年続けたそうだ。
そして、あるとき、S氏は渡部氏にこう言ったという。
「毎日、必ず始発電車に乗ることに私は一生の希望を託しているのです。そうでもしなければ、みんなと同じ平凡なことになっちまうからなァ」と。(前掲『知的生活の方法』より)
平凡な自分を非凡に変えるために自分は何をするべきかを考え抜いたことが伺えるひと言である。
S氏のこの話には後日談がある。
渡部氏によれば、S氏はしばらく(たぶんその後何十年か経過)した後、首都圏郊外に4,000坪の土地を購入したという。郊外に広い土地を買い、そこに家を建てることがS氏の長年の夢であったという。もちろん、実際はもう何十年も前のことだから、今とは土地の価格も違うだろうが、間違いなくS氏は当時の「億万長者」になっていたと渡部氏は述懐する。
これは少し極端な事例かもしれないが、小さな事でも根気よく続ければ大きな事を成し遂げることができる。まさに、「雨垂れ石を穿つ」である。
冒頭で、私は「通勤・通学時間だけで、なんと1日の6分の1を『消費』してしまう。」と書いたが、「できない人」から「できる人」へ、平凡から非凡へと変貌を遂げるためには、ここの「消費」を「投資」と読み替えてみてはどうだろうか?
すなわち、通勤・通学時間を「一生の希望を託す「投資」の時間にする」ということである。