【7】壁の向こう側を透視する

 「透視能力」とは、肉眼で見えないものが見える能力である。医療現場では「X線透視検査」が行われており、肉眼では見えない体内を透視しながら検査と治療を同時に行うことができる。
 医療機器を通じてではあるが、このように「透視」ができることで、人間は健康を維持し、病気に対応することができるわけである。大袈裟になるが、「透視能力」のおかげで、人間は生きながらえることができる。

 残念ながら、われわれ人間には物理的な「透視能力」はない。当然、はじめて見る壁の向こう側にいったい何があるかは肉眼では見えない。何があるか見えるようになるには、壁の向こう側に回ってみることが必要になる。そして、多くの人は、一度でも壁の向こう側に回ったことがあれば、その次からは壁の向こう側にあるものが何であるかはわかるのである。また、学校や親から、「あそこの壁の向こう側には~がある(だから、~してはいけない、とか~しなさい)」という教育を受けていれば、実際に自分が見ていないものでも「透視」することができる。

 よくニュースで話題になるのが、キャンプ場や海水浴場、河川敷などで遊ぶ人たちが、出したごみを片付けずに帰ってしまう出来事である。法律や条例で定められていようがいまいが、自分が出したごみはきちんと持ち帰るというのが当たり前のルールであり、最低限のマナーである。しかし、そうしたルールやマナーを無視する人は後を絶たない。思うに、このような人たちは、まさに「壁の向こう側を透視することができない」のである。

 言うまでもないことだが、この場合の壁の向こう側に何があるのか、ここで確認することにしよう。
 キャンプ場や海水浴場に限られる話ではないが、ごみは誰かが片付けないと、やがては不法投棄の温床になってしまう。当然、そのような公共の場には必ず管理者がいたり、その地に生活の基盤を置く人がいるわけで、最終的には、見ず知らずの人が残していったごみをその人たちが掃除をせざるをえなくなる。国や市町村が管理する公共の場のごみ掃除なら税金というコストがかかるし、私設の場であれば経費になるし、それが近接する生活地に及べば、当然、地元の人たちがごみを片付けるはめになってしまう。このことが、壁の向こう側にあるものである。しかし、壁の向こう側が透視できない人には、このような現実は一切見えないのである。

 人は、自分の家の軒先に他人が出した大量のごみが捨てられていたら、いったいどう思うだろうか? おそらくは100%に近い人が、怒り心頭になるのではないだろうか。犯人を捜す人もいるかもしれない。警察に届け出る人もいるだろう。しかし、言うまでもないが、公共の場にごみを不法に捨てることは自分の家の軒先にごみを不法投棄されることと全く同じことである。これもまた壁の向こう側にあるものである。
 前者については悪いことだと感じない、問題ではないと思う人であっても、後者の場合は(程度の差こそあれ)必ず問題視することになる。しかし、それは壁の向こう側が透視できていないということを高らかに宣言しているようなものだ。

 人生のあらゆる場面で「この人は壁の向こう側が透視できる人か」どうかが問われる。透視能力は医療だけではなく、人生そのものにとって非常に大切なものである。心しておきたい。

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